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悪い思い出だけど良い思い出…70年前にイギリス人と交流していた大叔父の話

2018年3月19日

先日、私の亡くなった祖母の弟である私の大叔父が我が家を訪れました。

大叔父は御年91歳

あっ( ゚Д゚)

エリザベス女王と同い年だ…笑

そんな大叔父は、私が初めてイギリスに語学留学という形で訪れるとなった時、そしてボランティアとして再度渡英するとなった時に、いつも戦時中に自分がイギリス人と交流した体験話をしてくれました。

そして今回もイギリスから帰って来たばかりの私にまたまたその話をしてくれました。笑

もう何度聞いたか分からないくらい何度も聞いている話なのですが、言わば歴史の生き証人のような大叔父の話を聴けるのはとても貴重だと思います。

何よりも当時は敵であったイギリス人と交流したという話はなかなか興味深いものがあります。

今回はそんな大叔父から聞いた話をせっかくですのでここで紹介したいと思います。

特攻隊だった大叔父

そろそろ戦争も終わろうとしていた頃。

その頃大叔父は17歳だったそうです。

特攻隊の一員として飛行機の操縦を学び、いつでも出撃できるように備えていたそうです。

ただ、運が良かったことに、大叔父は当時東南アジアに配属されていました

マレーやタイの辺りを飛びまわりつつ、そこにアメリカが攻撃をしかけてきた時には特攻隊として出撃をすることになっていたそうです。

ところがアメリカはそこをまともに攻めてくることなく、そのまま終戦に。

おかげで大叔父は出撃するチャンスがないまま終戦を迎え、命拾いをしたのでした。

当時は「お国の為に死ねなかった…!」と悔しい思いをしたのでしょうか…。

大叔父はたまたま命拾いをしましたが、鹿児島の知覧に配属されていた友人の方は、知覧の基地から特攻隊として飛び立ち、空に散っていったそうです…。

私も一度家族旅行で大叔父と一緒に知覧を訪れ、知覧特攻平和会館を訪れたことがありますが、壁にかかっているたくさんの亡くなった兵隊さんたちの写真の中に、友人を見つけた大叔父。

その様子を見ていた私も、何とも言えない感情になりました…

収容所での体験

終戦後、イギリス兵に捕虜として捉えられた大叔父や他の日本兵は、収容所に入れられたそうです。

そこでの生活はというと…

実は悪いものではなかったそうなのです。

ここからは大叔父の話をだいたいそのままの言いまわしてお伝えしたいと思います。

以下、大叔父の話。

俺たちは捕虜としてイギリス兵に捕まったけどな、イギリス兵達もやっぱり同じ人間よ。

気のいいやつらばっかりよ。

み~んなタトゥーを入れた大将ばっかりやったわ。笑

俺は英語が分からなかったけどよ、それでもずっと一緒にいたらだいたい何を言ってるかわかってくるものよ。

みんな家族やら恋人が待ってるから、早く国に帰りたいと言っていた。

お互いにお互いの国の家族の話なんかして、いろいろ良く話したもんだよ。

ある時なんか、食事がたくさん用意された部屋に俺たち通されてな。

ここにいろ、とだけ言われて、イギリス兵は部屋を出て行ったんだよ。

それはな、その用意された食事を好きに食べろって意味でな、ま~たくさん食わせてくれたよ。

酒も飲ませてくれるし、良く飲んで一緒に喋ってたわ。

その後俺たちはシンガポールに連れていかれて、今度はイギリスの植民地であるインドから来てたインド兵が俺たちを見張る担当になったんだ。

またこいつらがいいやつらでな。

インド兵が飯食ってるところを、物欲しそうな顔でみんなで取り囲んでじっと見つめてたら、しのびなくなるみたいでな。

結局自分が食べてた食事を全部俺たちに分けてくれるんだよ。笑

タバコ吸ってるインド兵見つめてたらタバコもくれるし、食事もくれるし、ま~気のいいやつらばっかりよ。笑

ま~しかし、いっつもカレーばっっっかり食べよったわ。笑

インド兵はな、どんなに位の高い兵隊でもな、結局イギリスのどんな下っ端兵隊よりも下の扱いになるんだ。

それにインド兵はバカでな~。笑(←大叔父の言葉をそのままで書きます^^;)

数が数えられんでな~。

トラックに俺たち捕虜を載せて数を数えるんだけど、俺たちは掛け算で一瞬で何人乗ってるって分かるのに、「ワン・ツー・スリー」って一から数えてな、それで最終的に数を間違えるんだよ。

それで俺たちが、「違うよ!〇人だよ!」と教えるんだが、「そんなはずはない!もう一回数えるからトラックから降りろ!」ってまた全員降ろしてさ、ま~容量が悪い。

それでまた一から数えて、結局俺たち日本兵が言ってる数の方があっててさ。

「あれ?お前たちの方があってたな。」

って、そんな感じよ。笑

ま~でも気のいいやつらばっかりだったわ。

結局な、11ヶ月の間捕虜として捕まってたけどな。

イギリス兵もインド兵も、いいやつらばっかだったわ~。

俺たちが日本に帰るってなった時はな、現地の人間たちはな、

「日本は10年後にはまた世界一の国になる!他の国は結局はダメさ。でも日本人は違う。日本は必ず世界一の国になる!」

って俺たちに言うんだよ。笑

…と、ワハワハ笑いながら、楽しそうに話してくれる大叔父なのでした。

 この話を聞いたイギリス人の反応

ちなみに私はこの大叔父のイギリス兵との交流話を、イギリスでイギリス人にしたことがあります。

イギリス人と話をしていて、ちょっとなんとなく流れで過去の戦争の話にさしかかったことがあり、その時に大叔父は当時のイギリス兵との思い出を良い思い出として持っているという話をしたのです。

ある人は、

もちろん戦争は最悪な出来事だけど、その大叔父さんの話は素敵な話だね。

と言い、またある人は、

イギリス兵はそうやって日本兵に優しくしたのに、日本兵はイギリス兵に残酷なことをたくさんしたんだ。

…と言っていました。

後者の人は、映画【戦場に架ける橋】を見たことがあるか、とその時私に聞いてきました。

あの映画がそのことについて描いている、知っているか、と。

イギリス兵は素晴らしかったのに、日本兵はただひたすら残虐だった、とその人は言いました。

(ちなみにその人は自称日本好き。笑)

その時私はこう伝えました。

戦場に架ける橋は観たことがあるよ。

ただ、戦争では色んな事が起こってる。

たまたま大叔父はイギリス兵に良くしてもらった体験をしたけど、そうでない日本兵だっている。

それはもう【戦争】だったからね。

日本兵がすべてのイギリス兵に残酷なことをしたとは限らないと私は思っている。

あなたもそれを断言することは出来ないと思う。

あなたのその情報は映画で観ただけの情報でしょ?

あの映画は実話を基にしているかもしれないけれど。

もちろんそういうことは他にも絶対にあったはずだとは思うよ。

でも逆に、海で溺れたイギリス兵を何百人と救った日本兵もいたし、日本軍の捕虜になった捕虜兵たちにとても良くしてあげた日本兵についての話も私は聞いたことがある。

それについてあなたは知らないでしょ?

全ては一概には言えないことで、私もあなたも知らないことがたくさんあると思うよ。

実際にその相手に「イギリス兵は良かったけど日本兵は悪かった」という言い方をされた時には、一応私もいっぱしの日本人であるわけで、正直いい気持ちはしませんでした。

あまりにも言い方が一方的だったので余計に。

ですが、そこで言われっぱなしではいけないと思い、私の考えもその時には上記のように伝えました。

また、そういう事は日本人に面と向かってわざわざ言わない方がいいと思うよ、とも伝えておきました。

イギリスなんて、長い歴史の中で世界中あらゆる島や国に侵攻して現地民をこてんぱんにやってるじゃん…

と思いましたが、そういうことは私は一切伝えませんでした。

そういう返しをしたところで火に油かなと思いましたし、「そっちがこうしたからこっちもこうしていい」みたいな話を戦争について話している時にはするべきではないと思ったからです。

その人は、私の話を聴いた後も納得いった感じはなく、とにかく自分の情報と考えが正しいという感じで何か色々喋っていましたが、とにかく言われっぱなしにはなるまいと私も自分の考えを述べつつ、冷静に対応しました。

そういった相手に自分の考えや思いを伝えることが出来て良かったと思いましたし、その相手の様に考えている人も世界にはたくさんいるんだよなぁ…と改めて考えされられました。

まとめ

私が大叔父の話を聴いたあとに大叔父に言ったのは、「悪い思い出だけど、良い思い出だね。」ということ。

戦争は最低最悪な出来事であり、この世からなくなるべきものだともちろん私は思っています。

が、第二次世界大戦でイギリス兵に捕虜として捕まっていた大叔父が、楽しそうに笑いながら当時のイギリス兵との交流について話をしてくれる様子を見ていると、気持ちがほっとさせられるのです。

歴史や起こった出来事だけを見ていると、ただひたすら暗黒の世界が広がっていたように思えてしまったりしますが、一人一人の人間達は、ある人は最悪な悲しい思いをしたであろうし、またある人は大叔父のような少し心温まる体験をしたであろうし…

とにもかくにも、少なくとも大叔父はたまたま命拾いをし、そしてその後なんと敵兵であるイギリス兵と和気あいあいと収容所生活を送っていたのだなと思うと…

ちょっとなんだか私の気持ちが救われるのでした…。

何よりも、ここ数年イギリスに住んでいた私よりも先に、大叔父は東南アジアでイギリス人と70年前の時点で交流していたと思うと…

おじちゃん、凄いね!

と言いたくなるのでした。笑

そうせざるを得なかった悲しい時代の流れがあったとはいえ、大叔父も初めてイギリス人、そしてインド人と交流したことが刺激になったことだろうなぁと。

大叔父にとって、戦争によって体験したその思い出は「いい思い出」となったようです。

なんだか不思議な気分にさせられますが…

こんな話もありますよっていうことで…!

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